トシマからの長いトンネルを抜け、鉄の重い蓋を押し上げると、その先に広がっていたのは窮屈そうにプレハブが立ち並ぶ敷地の外れだった。
決していい天気とは言えない空模様だったが、闇に慣れた目には鈍色に薄く反射した光でさえ刺すように痛んで、アキラは思わず顔をしかめた。
光の内に放り出され、今まで何年も暗がりに閉じこめられていたような感覚がどっと押し寄せてくる。
(違う、外に出られたんだ)
気鬱を振り払うように、軽くかぶりを振った。
ほんの少し見当識を失ったものの、目は幾度かしばたたくと光に慣れ、一生暗がりから出られないかも、という錯覚めいた不安はすぐに払拭される。だがそっくりそのまま、この先どうなるんだろう、という漠然とした心細さに取って代わられた。
わき上がる鈍い胸の疼きにしばらく立ちつくしたが、ふと人の気配を感じて、アキラは背筋を正した。
(ひとり? いや、何人か……靴音が揃ってるだけだ)
にわかに意識が研ぎ澄まされてゆく。
相手は手を差し伸べてくれるのか、それとも害意を持って近づくのか。全くわからないが、少なくともここで立ちつくしていても仕方がないことはわかる。それから、相手に先手を打たれるより、自分から動いた方がマシなことも。
理路整然とした自分の思考──馴染んだ感覚にアキラは少し安堵した。それはかつてチャンピオンとしてLOSTの名をはせた、BL@STERの試合と似ていた。どんなに大きな相手がやってきても、少しも怖くないと感じたあの頃に。
深く呼吸をし、歩を進めようとして──しかしアキラは隣にある影が少しも動こうとしないことに突然気がついた。
全身を黒で覆った、赤い瞳の男。
「……シキ?」
男は瞳を細めてアキラを一瞥すると、つまらなさそうに視線を逸らた。返事は一切なかった。いつものことだ。気が向かなければアキラのことなど、歯牙にもかけない。そういう男だ。
だが、何気ないはずのその仕草は違和感──一段ボタンを掛け違えたような居心地の悪さをアキラに残した。そもそも隣にいたことを失念するほど気配が薄かったという事実に、少しだけ薄ら寒いものを感じた。
しかし、もう一度名を呼ぼうと紡がれたアキラの声は、無骨な男の声に掻き消されて届くことはなかった。
「そこにいる二人、動くな!」
:::
その日の夜は、雨が降った。
あてがわれた部屋はプレハブともコンテナつかない仮設住居で、雨樋のパイプを伝う雨音がよく響いた。
雨音のとつんとつんという音に意識が持ち上がる。少しひんやりとした夜の気温も手伝い、まだちっとも明るくないうちから冴え冴えとしてしまった。
ひょっとすると、まだ緊張しているのかもしれない。
たどり着いた先は日興連の駐屯地だとほどなく知れた。温かい歓迎とは言えないものの、できるだけ事情を正直に話すと、今日のところはひとまず食べるものと寝るところを提供してくれた。
だが、明日もこうとは限らない。少し調べれば自分の素性くらいは知れるだろう。CFC出身であることは、日興連でどう評価されるのか。おまけに、エマが自分へ仕掛けた冤罪は、彼女が死んだ今も生きているに違いない。それが日興連側でどう捉えられるのか、予測に苦しむ。万が一、ここを逃げ出すにしてもデータが少なすぎる。果たして、軍の規模はどれくらいなのか。逃げ出したところで、町中に潜伏することは可能なのか。
(……駄目だ、よそう)
いくら考えても解決しないことを、いちいち考えるのは悪い癖だった。油断してはいけないことと、気に病むことは別だ。そう自分に言い聞かせて、アキラは小さく息をついた。
今、何時だろう。ふとそう思い、嫌々起きあがってサイドテーブルの小さなデジタル時計をたぐり寄せる。
まだ夜が明けるには早すぎる時間だった。
「損したな……」
思わずひとりごち、もう一度ベッドで丸くなろうとして──初めて気づいた。
「シキ……まだ起きてたのか」
シキが、窓辺に置かれた椅子へ腰を下ろしていた。視線は外へと向けられており、表情は伺えない。
そういえば、ここへ来てから一度も話をしていないことを思い出し、アキラはベッドに腰掛けて続けた。
「いくらあんたでも寝ないってことはないだろ。それとも眠れないのか」
わざと皮肉るように言ってみる。黙れと低く一喝されてもおかしくないと思ったのに、やっぱりシキは無言のままだ。
別に仲がいいわけではないし、無理に口を開かせたところで会話が弾むとは考えられない。それでも急に落ち着かなくなって、アキラは立ち上がった。
「シキ」
名を呼んで、わざと視界を遮るようにシキの前へ立つ。
だが、シキは見向きもしない。
手を伸ばそうとして──だが指先が触れそうになる瞬間に、アキラは思わず、反射的に手を引っ込めてしまっていた。
とたん、体の真ん中からくらりと熱が立ち上って、アキラは胸より下、腹の辺りを手のひらで覆った。
触れることが、怖い。
自分が思ってもみないタイミングで、叩きつけるような乱暴な仕草で、いつ腕を引かれるかもしれない。
体が、勝手に竦み上がる。
それほどまでに、トシマでの数日間、体に刻まれた仕打ちが身にしみこんでいるのだと改めて気づかされる。
体に刻まれた、痛みと屈辱──あの連夜の行為は、今でもまざまざと思い出すことができる。
それからあの、傲慢に放たれる声。
(「おまえは俺のものだ」)
思い出すと、火花が散るみたいに、体が熱くなる。
あのときもそうだった。繰り返し与えられる恥辱で神経は焼き切れそうだというのに、体は高ぶって熱を持て余し──ねだるみたいな真似をした。
痴態をさらけ出して、体を震わせて、まるで誘うみたいに。
(違う!)
自分の思考を断ち切るように、強くかぶりを振った。
(体で暴れる熱を解放してほしかった。それだけだ……)
酷いことをたくさんされた。忘れることなんてできない。
なのに、自分は今もこの男と共にある。
(どうして)
どうして──この男は自分の手を引いて歩いたのだろう。
そしてこの男は一体、自分のことをどう思っているのだろう。
自分は……この男をどう思っているのだろう。
もう一度、シキに声をかけようとした。そのときだった。
突然、扉が蹴破られた。